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18年6月22日説教「イエス・キリストの救い」


聖書箇所:使徒言行録15:6~11
説教者:永野健一

「イエス・キリストの救い」

 およそ多くの教会において、特に法人格をもっている教会においては年次総会というものが義務付けられていて、年に一度、必要に応じて数回、その教会に教会籍を有する兄弟姉妹によって行われます。
この教会でも4月末ごろに教会総会を行いましたが、教会はその始まりの頃からこうした会議をしてまいりました。
 もちろん、今日の教会総会はどちらかといえばこの世的な活動報告の承認と次年度予算の承認といったような実務的な内容が主です。

 しかし、そうした実務的な内容ではなく、その教会において自分たちの信仰の内容に関わる事柄を決定する、そうした教会会議というものが歴史的には行われてきました。
 それは、わたしたち日本ナザレン教団においては、教団年会というのが、それに関わってきますが、しかし、話し合う内容がナザレン教会の全体に関わってくるような場合、つまり、世界のナザレン教会において、自分たちの信仰の事柄について何かしらの取り決めを行う場合は「世界総会」という会議において、各地区からの代表者を集めて話し合う、そのような仕組みになっています。

 では、それがナザレン教会を越えてキリスト教一般になった時にどうなるかというと、ここらへんの事情は複雑です。
 みなさんも耳にされたことのある言葉で「第二バチカン公会議」という、これはいわゆる西方教会、つまりカトリック教会において1962年~1965年にかけて行われた教会会議をご存じでないかと思います。ただし、これは教会会議とは言ってもあくまでもカトリック教会だけの話ですので、プロテスタント諸派は含まれていませんし、東方教会も入っていません。

 では、それ以前ではどうかというと、カトリック教会からプロテスタント教会が派生する以前、まだカトリック教会が東と西に分裂する以前に行われた、そういう意味ではまさに地上におけるすべてのキリスト教会が関わった教会会議が第1回から第7回、あるいは第4回までしか認めないという立場もありますが、だいたい4世紀~8世紀にかけて、全地公会議と呼ばれる教会会議です。
 紀元325年に開催された第一回目の教会会議はニケア公会議、あるいはニカイア公会議と呼ばれるもので、この会議が行われた場所は、今でいうイスタンブールからトルコに渡って少し南に下った、今日では「イズニク」と呼ばれる町で行われました。
 今ではトルコはイスラム教の国として知られていますが、キリスト教の初期の時代においてはトルコはキリスト教が広く栄えた場所であったのです。

 しかし、使徒言行録にはそれに先立って、歴史的に最初に行われた教会会議として、使徒言行録15章にエルサレムで行われた使徒会議について証ししています。ここで何が話し合われ、どういう事が決められたのか、それはわたしたちにとってどういう意味があるのか、その事について今日は皆さんと共に、このみ言葉に耳を傾けたいと思います。

 さて、使徒言行録の2章以下、使徒たちの上に主イエス・キリストの約束された聖霊が降り、要はそこからキリスト教会の働きがはじまります。
 ただし、この時は、使徒たちは全員ユダヤ人でありましたし、またそこに加わっている弟子と呼ばれる人たちも、基本的には全員が割礼を受けた人物であり、またユダヤ教の慣習に従ってエルサレム神殿に詣でる事や食物規定を守る人たちでありました。

 ところが、使徒言行録10章に登場するコルネリウスとその家族の上に聖霊が降ったという出来事が、当時のそうした使徒たち、また弟子たちにとって大きな驚きとなりました。
 なぜなら、主イエス・キリストの約束の聖霊を受けた人たちは、基本的に割礼を受けた人物であり、加えて食物規定やその他の律法を守る人たちでありました。つまり、これらの人たちは普段から信仰的に清い生活をしている人たちであり、だからこそ、そうした人たちに約束の聖霊が降ったとしても、それは旧約聖書の預言の成就として理解されることはあっても、ある意味で、それは順当なものとして認められたのです。

 ところが、異邦人であるコルネリウスは、カイサリアで持たれていたキリスト教会の集会に出席し、信仰的には神さまを信じていましたが、彼はローマ帝国に仕える百人隊長として、当然ローマ帝国のしきたりの中で生活をしていました。
 「信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた」(使徒10:2)とあるように、その行いにおいてはユダヤ人のようではありましたが、残念ながら、「神を畏れ」という表現からわかるように、割礼は受けていなかったのです。

 ところが、聖霊の導きによってペトロがコルネリウスの家を訪ね、そこで福音を聞いているうちに、彼らの上に、聖霊が降ったのです(使徒10:44)。コルネリウスとその家族は、その後、洗礼を受けてキリスト者となるのですが、このところで実に興味深いのは、洗礼よりも、聖霊の注ぎの方が先であったという事実にあるのです。
 なぜなら、使徒言行録2章までの話でいえば、聖霊が降るのは、あくまでも割礼を受け、食物規定を守り、加えて毎日エルサレム神殿に詣でる等、極めて熱心なユダヤ教徒と見間違うような信仰者であったからです。
 そうした人たちに聖霊が降ることは、いわば旧約聖書における預言の成就で説明されるように、信仰的には極めて順当なものであったのです。

 そのため、初期のキリスト教の教師たちは、イエス・キリストがメシアである、救い主であることも伝えましたが、しかし、それと同様にモーセの十戒に基づく律法の遵守も必要である。とりわけ、男性であれば割礼を受けることを異邦人の人たちにも勧めたのです。
 ところが、割礼を受けていないコルネリウスの上に、まだ洗礼も受けていないにも関わらず主イエス・キリストの聖霊が降ったとなると、では、それまで自分たちが守ってきていたものは何であったのか、という事になるのです。

 そして、まさにユダヤ教の慣習的なものが、このエルサレムで行われた使徒会議において話し合われました。
 パウロやバルナバは、まさにそうした人は福音によって救われ、律法とは無関係であることを主張し、使徒たちとしては、それをどのように受け取るのかが、問題となったのです。
 この使徒会議における結論は、信仰的にどちらが正しいという結論ではなく、使徒言行録15章19~21節に記されているように、割礼の有無は関係なく、異邦人にはただ可能な範囲で食物規定を守ればそれでよいという事になったのです。

 それは、使徒たちによって、異邦人キリスト者が、そうした初代キリスト教会の内側に迎え入れられた記念すべき出来事となりました。
 そして、そこからはじまって、今でもなお、キリスト教会は主イエス・キリストの福音によって、今日まで続いているのです。
 そこにおいて大切なのは、聖霊の働きによるものを、信徒たちが話し合い、祈りあって結論を出したということです。キリストの教会は、その意味で、まず聖霊の働きがあり、そのことを教会全体で話し合って、教会全体でそのことを決議することを通じて、歴史的に歩んできたということなのです。

 その意味で、聖霊の導きとは、いわゆる人間が集まって会議をして決めたということと形は似ていますが本質においては大きくことなっています。
 それは、魂の救いである聖霊の働きこそが最初にあって、その後に、そのことを教会で信仰的に話し合い、受け入れたということなのです。

 その意味で、聖霊の導きと人間の思惑というのは相容れないものであることがわかります。
 それは教会・教団の方針ではなく、声の大きい人の意見でもなく、能力のある人の働きでなく、あくまでも聖霊の導きであることが大切なのです。
 聖霊の導きは、この世の人間的なあらゆるものから自由です。だからこそ、わたしたちはそこで大いに驚き、不思議に思うのです。

 使徒言行録はまさにそのことを証しし、また今日において、わたしたちをも守り導いてくださるのです。だからこそ、わたしたちは、今日においてもなお、聖霊の働きと聖霊のお導きを切に祈り求めるものでありたいと願います。

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